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新体操 マリア ペトロバ Maria petrova [芸術]

新聞に、2020年の東京オリンピックにむけての強化のために、
日本の新体操選手を、ロシアに留学させるとあった。
ロシアなんだなあ、と思った。ブルガリアだった時もあったのにと。

昔、新体操が好きだった。
バレエをしてたのだけど、新体操のあの身体能力に魅かれたなあ。あのすごい柔軟性、
ぎりぎりまで、追い詰めたようななんというか、あのスポーツの要素と、芸術の要素がね。
maria_petrova.jpg

ソ連って国があって、すごい選手が続々でて、それのそのはず、ソ連は、いまでこそ、沢山の国に分かれたのが、ソ連からの代表としぼられたから、すごい選手がでてた。
その後、ソ連が、ロシア連邦になって、ソ連代表が、あちこちの国代表になって、
今度は、世界選手権で、元ソ連の国が上位をもっていってた。
今、政情が不安定なウクライナは、いい選手出る国、昔から。ソ連代表も、ウクライナの人が多かったみたいだし。

その中で、その前の新体操王国、ブルガリアででた、天才選手、というか、芸術家のようなダンサーだったなと。
マリア・ペトロバ Maria petrova
マリア・ペトロバ(1975年11月13日 - )は、ブルガリアプロヴディフ出身の新体操選手だった。


略紹介
1993年~1995年にかけての世界新体操選手権で、、史上2人目の個人総合3連覇を達成。
欧州選手権で、1992年と1994年の2連覇を達成。
新体操王国・ブルガリアが、1988年のソウルオリンピック以降続いた、ソ連(ロシア・ウクライナ)勢による王座を奪回することに成功。
ブルガリア悲願の金メダルが期待された1996年のアトランタオリンピックでは、採点方法の変更・ルール改正の影響と、ボールのミスが響き個人総合5位に。

ブルガリアでは彼女の名前「マリア」を冠した化粧品ブランドがある。
1998年にサッカーブルガリア代表の正ゴールキーパーを務めたこともあるボリスラフ・ミハイロフと結婚している。彼女の義理の息子ニコライ・ミハイロフもプロサッカー選手。



you tube があった。
このころは、レオタードも、色々規制あって、まだ、全身タイツとかやっとでたあたりかな。とにかく、衣装が、一番変化したかも、現代と比べると。どんどん派手になっていった。でも、このころより以前は、も~と、シンプルなレオタードだったか。




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タグ:新体操
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