SSブログ
世界遺産 ブログトップ

世界遺産 ストーンヘンジの新発見! [世界遺産]

英国の古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」で、神殿発見だって。
神殿、多分英語でテンプルだろう。テンプル騎士団の。
「ダ ビンチ コード」みたい。
250px-Stonehenge_(sun).jpg
英南西部のソールズベリー平原(Salisbury Plain)に円を描いて立つ謎めいたストーンヘンジは、欧州の遺跡の中で最も象徴的なものの一つだが、独立した建造物と思われていた。だがストーンヘンジの周囲12平方キロを地下3メートルの深さまで高解像度でスキャンしたところ、17の隣接する神殿が発見された

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、
ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。

このソールズベリーは、、アーサー王の話が残るとこでしょお。でも、それより前か。

発見されたのは6000年前の建造物群で、木や石でできた17の構造物や数十に及ぶ埋葬塚が含まれる。また巨大な穴も複数見つかり、一部は天文学的な配列を形成しているようにも見える。
ストーンヘンジについて、今までは、
この謎の巨大な列石遺跡が4500年前に建てられた目的をめぐっては、何百年にもわたり議論が続いている。ストーンヘンジは天文学的なカレンダーだったとする説や、ヒーリングのための場所だという理論があり、また、地中の魔法のエネルギーの場所を示す印だと考える人もいる。ドルイド教徒が建てたものかもしれないとも言われている。

今回発見された建造物の年代が、違ってる。。他にも、こんな記事が。
「ユネスコ世界遺産に指定されているストーンヘンジ遺跡は、当時存在していた墓地として最大のもので、長い間、宗教的な重要性を持っていたことがわかっている。遺跡がある場所は、狩猟採集民の広大な居住地だった。この遺跡が建てられる4000年ほど前から、しばしば人が住み着いていたようだと、2013年にピアソン氏はナショナル ジオグラフィックの取材で話している。」

つまり、ストーンヘンジに建物が存在する前から、人間が建物ない神聖な場所として、儀式するか、土地のエネルギーが強いか、立地する場所がすごいかってことかな。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

世界遺産・富岡製糸場☆富岡に製糸工場が出来た理由とは? [世界遺産]

もうすぐ、通訳ガイドの試験ですねえ。今年、世界遺産になったので、これも対策かと思いました~
フランス人登場。

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場。
富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、
器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。

なぜ、富岡製糸場ができたかというと?
日本は江戸時代末期に開国した際、生糸が主要な輸出品となっていたが、粗製濫造の横行によって国際的評価を落としていた。そのため、官営の器械製糸工場建設が計画されるようになる。
明治3年、横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナ(Paul Brunat)らが 武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、上野(今の群馬県)の富岡に場所を決定した。

富岡という場所が選ばれた理由は?
1 富岡は、養蚕が盛んで、生糸の原料の繭が確保できた。
2 広い土地が用意できる。
3 製糸に必要な水が確保できる。
4 燃料の石炭が近くでとれる。
5 外国人指導の工場建設に地元の人の同意得れた。

いまは?
1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が重要文化財に指定されている。
また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された。

富岡製糸場は、明治政府の殖産興業政策にもとづいて設立された官営模範工場で、日本の蚕糸業の発展に大きな影響を与え、民間へ払い下げられた後も一貫して製糸工場として機能し続けました。日本の近代化、経済・産業発展の歴史を物語る証拠であり、設立当初の敷地と主な建造物が良好な状態で保存されていることも大変価値が高く、貴重な文化遺産であるといえる。

ブリュナ館

out_10.jpg
世界遺産 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。