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世界遺産・富岡製糸場☆富岡に製糸工場が出来た理由とは? [世界遺産]

もうすぐ、通訳ガイドの試験ですねえ。今年、世界遺産になったので、これも対策かと思いました~
フランス人登場。

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場。
富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、
器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。

なぜ、富岡製糸場ができたかというと?
日本は江戸時代末期に開国した際、生糸が主要な輸出品となっていたが、粗製濫造の横行によって国際的評価を落としていた。そのため、官営の器械製糸工場建設が計画されるようになる。
明治3年、横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナ(Paul Brunat)らが 武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、上野(今の群馬県)の富岡に場所を決定した。

富岡という場所が選ばれた理由は?
1 富岡は、養蚕が盛んで、生糸の原料の繭が確保できた。
2 広い土地が用意できる。
3 製糸に必要な水が確保できる。
4 燃料の石炭が近くでとれる。
5 外国人指導の工場建設に地元の人の同意得れた。

いまは?
1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が重要文化財に指定されている。
また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された。

富岡製糸場は、明治政府の殖産興業政策にもとづいて設立された官営模範工場で、日本の蚕糸業の発展に大きな影響を与え、民間へ払い下げられた後も一貫して製糸工場として機能し続けました。日本の近代化、経済・産業発展の歴史を物語る証拠であり、設立当初の敷地と主な建造物が良好な状態で保存されていることも大変価値が高く、貴重な文化遺産であるといえる。

ブリュナ館

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