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カミーユ・クローデル Camille Claudel 彫刻家 [芸術]

カミーユ・クローデル  Camille Claudel (1864-1943)
日本で、フランス大使してた、詩人としても有名なポール・カミーユは、弟。
関西の日仏学館には、この大使にちなんで作られた図書館ある。

昔、イザベル アジャーニが、カミーユ役を演じた映画をみて、
すごい印象に残って。
日本でも、フランスのロダン美術館でもカミーユの作品みたことあるけど、うまい彫刻家だなって、誰でも思うと思う。
なーんでだろ。
おかしいことを目にすると、カミーユやゴッホのことを思い出すんだよねえ。
今でこそ、精神系の病気も、そんなにかけ離れたことでもなくなったけど、
(知人、友人がおかしくなって、えらーい目にあったことあるとき、思い出したのが、
ポールさんというカミーユの弟さんだった。ポールさんは、狂ったカミーユをみて、
どんなことを思ったのだろうとか)
とにかく、映画の中の、カミーユが狂ったシーンにしても、なんか壮絶な感じだった。

以下、ざっと、カミーユの略歴

1864年、エーヌ県のフェレ=アン=タルドノワにて、父ルイ=プロスペル・クローデルと母ルイーズの間に3人兄弟の長女として生まれる。
子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく。
19歳の時に彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子となる。ロダン42歳。2人は次第に愛し合うようになるが、ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となる。その関係はその後15年にわたって続いていく。
その中でカミーユは20代後半にロダンの子を妊娠するも中絶し、多大なショックを受ける。やがて2人の関係は破綻を迎え、ロダンは妻ローズのもとへ。
徐々にカミーユは心を病み、40代後半に統合失調症を発症する。
1913年3月10日、48歳の時に家族によってパリ郊外のヌイイ=シュル=マルヌにあるヴィル・エヴラール精神病院に入れられた。
その後第一次世界大戦の影響で南仏のモントヴェルク精神病院に移動させられ、生涯をそこで過ごした。
後に、毎朝決まって病院構内の礼拝堂に向かい祈った。カミーユは誰とも口を聞こうとせず、一人自己の世界に閉じこもった。また、ロダンへの憎しみと周囲の患者を見下すことでかろうじて自己の精神の孤高を保った。晩年のみすぼらしい身なりで痩せこけ、精彩を欠いた姿に面会したポールは愕然としたという。
第二次世界大戦中の1943年、家族に看取られることなく亡くなった。78歳没。
故郷に帰ることを終生願ったが叶うことはなかった。
精神を病んだ後カミーユは多くの作品を破壊したが、そのうち約90の彫像、スケッチ、絵画が現存した。死後の1951年、ポールはロダン美術館で彼女の作品の展示を行った。

images.jpg

統合失調症って、現代は、よく聞く病気だけど、ポールさんのような心境を味わっておられる周りの人って結構おられるんだろうか。。
人が狂うのを見ると、なかなか、なんというか、げそっとなった。
なんていうかなあ、こりゃ、えらいことだなと、目が覚める感じというのか。
やはり、あんまりストレスをためるようなことは、身体によくないと思うなあ。
自分を苦しめることも、ストレスだから、精神と、感情と、肉体は、つながってる。
みなさま、お幸せに。



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