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カソリックとプロテスタントの修道院シスター [spiritual]

前回の、つづき、「臨死体験生命の響き」で、
私の関心あったことの記述が。。

それは、修道院に入ったらどういう風に、修行するのか。
以前から、バチカンのシスターたちの写真などみてると、
どうしたらあいう風に、祈れる姿になるんだろうと。面持ちが普通でない、
世の中、煩悩の顔の人ばっかなのに。うーん。この違いは。。。とうなってた。

それと、疑問に思ってたのが、カソリックとプロテスタントのシスターの違い。

友人に、大卒後、修道院に入った女性がいたのですが、
結婚しました、修道院でて、数年教会にいた後。牧師さんと。
??
と思ってたのですが。

つまり、カソリックは、独身なのです。男女ともに。
プロテスタントは、結婚していい。
これは、仏教も、昔は、妻帯禁止だったりして、
例えば、浄土真宗の親鸞さんは、罰せられてますから、
今は、違いますね。いろいろ、理由があるのでしょう。
時代とともに、かわることもありますしね。

話前後しますが、
カソリックのシスターは、それはそれは、厳しい決意のもとに、
その道に入っておられるようですね。

「神に仕えることは、文字通り、自分の人生をすべて捧げることでした。
結婚して子供を産んで、という普通の人生をあきらめ、一生修行の道にゆだねること。。」
と記述。

修道院に入ると、
5感のコントロールする訓練だから、
もちろん、おいしいものも、テレビも、文字をみることも、
ということですね。うーーーん。できませんね。なかなか。
美味しそうなお菓子みたら。。
これは、仏門に入って修行するのと、共通しそうで。

徹夜の祈りというのも、あるそうで、
冬は寒く、夏は。。。。そうだ、ここ驚き、
蚊に刺されても、かいちゃいけないの。

「そんな状態で祈りに集中するのは、かなりの忍耐が必要。」
「ところが、人間の不快感というのは、ある極限までいくと、
パッと快感に変わるとき」があるそうです。
例えば、と続くのよ。

祈りに刺されてる最中に蚊に刺されても、・・・・
そのままじっと動かずに祈り続ける
痒くてたまらなくなり、そこに神経が集中してしまうので、皮膚の蚊に刺された部分が
だんだんと膨らんでいくのがわかる
けれど、その痒いという、不快感から逃げようとするのではなく、
じっとそれを味わいつづけ、
痒くてもうがまんできないという極限状態に達すると、自分にある変化がおこっていくのが、わかる。

これ、まとおめると、快感にかわるらしい。
体内から、つらさに対する恵みと、霊的な慰めがにじみでてくる。

禅の世界では、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
一般には、こだわりを捨てる境地に例えられてるけど、
修行を積んだ禅僧の中には、火の暑さも感じない人がいる。

それと、この文字を使わないのは、考えられないほどの時代、
修行の初期段階では、
文字いっさいみては、いけない。見ていいのは、会則と、聖書だけ。

これに、理由があったのだ!
活字から遠ざかることで、人間の神経系統をつかさどる間脳を鍛える訓練。

これで、理由もつかめたことだし、
たまには、活字から離れるのも、いいことね。

だからか、どこかで、ヨガや気功が、間脳鍛えると聞いたのは。
つまり何も考えず、
は、いいことだ[黒ハート]

ありがとうございました!

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