SSブログ

テンプル騎士団 最後の総長ジャック・ド・モレー  [フランスの歴史]

ジャック・ド・モレー (Jacques de Molay、1244年? - 1314年3月18日)
第23代目テンプル騎士団総長にして、最後の総長であった人物。
テンプル騎士団初代総長ユーグ・ド・パイアンと同じくらい有名である。ブルゴーニュ地方の小貴族の子であったとされるが、その人生の謎が多し。
聖地から追われた後、一つの王国以上の資産を擁していた騎士団の財政をうらやんだフランス王フィリップ4世により、異端の濡れ衣を着せられ、異端審問のうえ有罪とされた。パリ・シテ島の刑場で火刑に処された。亡くなる前にフィリップ4世ローマ教皇クレメンス5世らを呪ったとされる(1314年にフィリップ4世とクレメンス5世は急死している)。また、カペー家直系の断絶をも呪ったと言われ、これも実際1328年にフランス王位はヴァロワ家に継承されている。
220px-JacquesdeMolay.jpg
Wikipedia には、こう書かれてる。
最後の総長が、とらえられて拷問にかけられた時、70歳過ぎ。過酷な拷問です。もちろん。罪を告白すれば、死刑だけは逃れ、足かせをはめられ、独房に一生閉じ込められる。テンプル騎士団の幹部は、みんなこちら。総長もこうなるはずだった。しかし、
1314/3/18審議で、終身刑がいいわたされたとき(この時点で、7年の拷問、獄中でやつれ果ててます)
拷問に負けて、白状し、終身刑にされたはずのド・モレー が、発言を所望する。
ここで、名高い演説がされる。
略すと、拷問に負けて、不正な罪を告白したが、すべて無実。
ここで、終身刑から、死刑になり、痛めつけられて、夕方、ノートルダム寺院近くの広場で、身をじりじりとあぶられます。
その最後に、ノートルダム寺院を見せてほしいと懇願した。最後の瞬間、目を見開いて、
呪いの言葉が発せられたそう。これが、フランス人の間で語られる。
で、この呪い通り、このテンプル騎士団をはめた人たちは、みごとに、お亡くなりになる。
1か月後法皇、フランス王(テンプル騎士団のお金に目を付けた人、悪人だ)が、45歳で、自分は呪われてるって言って落馬死。この王の寵臣(テンプル騎士団の宿敵)も。 その手の本には、必ずこの話が書かれてるから、相当、皆が語り継いだ話なんだろう。
会ってない私でさえ何かとてもすごい騎士に思える。この話を思う度に、人の思いとは、どういうことが、現実化されるのだろうと考える。私のこの件の解釈は、この呪いがきいた理由は、この件で、悪人のフランス王たちが、自分たちが悪い事をしたとわかってるから、それが効いてしまったんではないかと。フランス王は、テンプルのお金欲しさに、濡れ衣を着せたのを自覚してたと。


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。